この2年間、mi&goの現場はたくさんの挑戦を重ねてきました。
ただ、同時に、組織としてやってはいけなかった設計もありました。
今日は2つの反省を書きます。
自分への備忘録であり、これからのmi&goのための再設計の宣言でもあります。
ユニフォームを赤と黄色で分けたこと。
当時、僕はユニフォームの色を赤と黄色で分けました。
利用者さんから「誰に聞いたらいいかわからない」と言われ、一目で分かるようにして安心して声をかけられるようにする。そういう意図でした。
でも今振り返ると、声をかけるという行為そのものが関係性を育てるんですよね。
「ちょっと聞いてもいいですか?」
「どの人に聞いたらいいですか?」
この一往復が、コミュニケーションの起点になる。
色分けは、その起点をショートカットしてしまった。
つまり僕は、「わかりやすさ」と引き換えに、対話が生まれる機会を削ってしまった。
そして色分けは「役割の見える化」であると同時に、「境界線の強化」でもあります。
境界線が強い組織は、声が届きにくくなる。
これは福祉に限らず、どの現場でも起きます。
「利用者」と「指導員・支援員」という言葉
もう一つの反省は、呼び方です。
mi&goでは「利用者」と「指導員・支援員」という言葉を、組織の中でもそのまま使ってきました。
行政手続きや制度上の整理としては必要な場面がある。そこは分かっています。
ただ、現場の関係性は、制度のために存在しているわけではありません。
「指導員」という言葉は、どうしても指導する側という響きを持ちます。
mi&goが目指したのは、「指導」ではなく、伴走であり、共同作業であり、再構築です。
なのに、呼称が上下の匂いを持ち込んでしまった。
その結果、僕が最近見えるようになってきたのは、階級や境界が生む言葉づかいの乱れです。
・ため口が増える
・年配の方に対しても敬語を使わないシーンが出る
もちろん仲が良いこと自体は悪いことではありません。
見ていても良すぎるところもあるくらいです。
ただ、行き過ぎると、相手の尊厳を傷つけたり、関係性を壊したり、
職場の空気を荒らすリスクになる。
そういう行動が起きやすい設計をしてきたその責任は僕にあります。
制度言語をそのまま組織内に持ち込んだことが、誤解の土壌になった。
これは僕のミスでした。
反省の本質:仕組みが、関係性を歪めていた
今回の2つの反省には共通点があります。
・色分け:分かりやすさを優先して、対話の芽を削った
・呼称:制度の言葉を優先して、上下の匂いを持ち込んだ
どちらも、現場の善意や努力とは無関係に、仕組みそのものが関係性を歪めるタイプのミスです。
いらないを、つくらない。
改めて、mi&goをつくった原点に立ち返って考えてみると、
僕は「支援」さえ無くしたいと考えています。
価値があるものと、価値がないものを分けてきたこれまでの社会。
そして「いらない」と判断されたものは、静かに社会の外へ追いやられてきました。
たとえば、ゴミ。
たとえば、地方。
たとえば、失敗した人生。
でも、本当にそうでしょうか。
見方を変えると、世界はまったく違って見えてきます。
ゴミは、素材になる。
地方は、可能性になる。
失敗は、原点になる。
mi&goのビジョンである「いらないをつくらない」という言葉は、
単にゴミを減らすという意味ではありません。
社会が「価値がない」と決めてしまう、その見方そのものを問い直すこと。
そして、見方を変えることで、価値をひっくり返していくこと。
障がい、も同じです。
もしそれが障がい福祉分野で当たり前になれば、
人を「支える側」と「支えられる側」に分ける必要もなくなるはずと考えています。
今後の対策:境界を減らし、尊重が当たり前に起きる設計へ
ここから先、2026年4月から方針を変えます。
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ユニフォームの色分けはやめる
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「指導員」「支援員」という言葉づかいはやめる
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基本は、名前で呼び合う(○○さん/○○くん等、敬意が残る形で)
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色分けをやめても迷わないように、互いに声をかけやすい仕事環境を整備する
大げさに聞こえるかもしれません。反対に「そんなことか」と思われるかもしれません。
実際、誰かから強い不満が出たわけでもありませんし、これが原因で安全・尊厳に関わる問題が発生したという報告でもありません。
ただ、呼び方と見た目のルールは、文化をつくります。
文化は、行動をつくります。
行動が積み重なって、居場所の質が決まります。
mi&goが守りたいのは、制度上の正しさだけでなく、ここにいる一人ひとりの尊厳です。
そのために、まずは言葉と境界の設計から、やり直します。
NPO法人mi&go
理事長
金子拓司

